塩山温泉逃避行vol.1(2022/4)
春が来たので塩山温泉へ向かった
昨日に比べるとぐんと暖かくなりました。
目覚めもいい、開けた窓から入る空気もおいしい、幸先が良い1日の始まりです。
春が来て寒さがおさまったらどっかに行こうと考えていました。
気軽に行ける距離、人がそれほど多くなさそうな場所、ほんで温泉に入れるところ。
そんな条件から選んだ山梨・塩山温泉へ向かう中央線快速に乗ったのは午前10時頃。
平日だし都心とは逆方向の電車のため車内はかなり空いていて、乗っている誰もが季節のせいかぼんやりとした顔をしていてなんだかほっと落ち着きます。
春先というのは日によっても時間によっても気温が全然変わるので、出かける時の服装というのはけっこう悩んでしまうもの。
家を出た瞬間の「ちょうどええわ」だけではその日1日の快適さを保証してくれるとは言い切れません。
リュックにパーカーこそ忍ばせてはいるけれど、それだけで安心できるほど簡単な話ではないのです。
ぽかぽか陽気の真っ昼間にマフラーを巻いている人がいて周囲の人々にちょっとした季節外れ感を感じさせていたとしても、日が暮れた頃にはこの人が華麗に大逆転を決めて首をすぼめている人々に対して得意顔をしている可能性も大きい。
そんなことを考えながら乗り換えをする高尾駅に到着。
なんとなく車内が寒くて少しずつお腹が冷えてきた気がします。
家を出て小一時間。
きっと昼からは気温が上がるだろうけど、もしかして夕方や夜にはそぐわない格好なのでは?
視界に入る自分の服装からそんな不安を感じていました。
しかしすぐにそんな考えを断ち切る。
違う違う!
自分は今、逃亡しているつもりで旅行しているのでした。
逃亡者は着るものなんて気にしてる方がおかしいのです。
むしろ寒さでぷるぷる震えてるくらいが絵になるではないでしょうか。
高尾で甲府行きの中央本線に乗り移ると車内は少し混んでいて座ることは出来ませんでした。
席はところどころ空いてはいるけど、その空いているどの席を選んでも誰かの隣になってしまう。
コロナ禍ということもあってなんとなく嫌な顔をされそうなので座る勇気はなくドア付近に立っていました。
できれば座りたいと思う願望を抑えて、「いつでも逃げられるようにこうしているのさ」と無理やり逃亡者へと気持ちを切り替えます。
電車が高尾駅を離れるとすぐに窓の外の景色がどんどんと彩り豊かに変わっていきました。
あちらこちらに咲いた桜にぼんやりと見とれる至福の時間。
「ほんで何より空が思いっきり晴れてやがらぁ」と心の中で江戸っ子口調でつぶやきました。
体感だけどさっきよりグググっと気温も上がって肌寒さもなくなってきた気がします。
お腹も調子を戻してきた頃、どこかの駅で座っていた人が降りたので空いた席に移動。
リュックを隣に置いてだらしない格好でそれにもたれながら深くシートに座り、引き続き外の景色を堪能しました。
何もかもがうまくいってらぁ。
でも待てよ、もしも本当に逃亡中の身だったとしたら。
窓から見えるこの絶景はどんなふうに自分の目に映るのでしょうか?
景色を眺めてるどころではないのか、はたまたそんな状況でもやはり美しいものは美しく映るのか?
後先のない自らの現状と限りなく満開に近い桜の花たち。
両方が持っている「儚さ」という共通点が強く結ばれることにより経験したことないほどの美の感動を全身で感じられるのかもしれないな。
だけど言っても自分は逃亡者もどき。
何の罪も犯していなければ追ってくる存在すらもいません。
悲しいけど今この目に映っている窓の外の絶景は、腑抜けた状態の自分の目にぼんやり映っているだけのものでしかない、と絶景を見てるくせにしょんぼりとして変な気分。
なんか小難しいことを考えて落ち込んだりしていたけど尿意によってそれを中断。
その先は頭を無にしておしっこを我慢しました。
塩山駅前で武田信玄と座り込む
塩山駅に到着して周辺をてきとうにぶらつくことにしました。
駅前には食堂や中華料理、お土産物屋があるだけで特別に何があるわけでもない町だったけどガヤガヤしてなくて好きな雰囲気。
予想していた以上に人通りも少なくちょっと寂しい感じが逃亡真っ只中の心情にしっくりときました。
甲府駅の駅前に武田信玄の銅像があるのは有名ですが、ここ塩山駅を降りたところにもドカッと座りこんでらっしゃる。
旅館のチェックインまで何をすることがなかったのでそんな銅像と同じようにベンチに座りこんで考えごと。
賑やかではない寂しい雰囲気の町は逃亡者に適しているように思っていたけど、都会とは違ってよそ者が目立ってしまうように感じます。
車移動の住民が多いのか歩行者もほとんどいない中でうろうろきょろきょろしている人間はどうしても目につきますから。
塩山にはいちおう温泉郷があり大菩薩峠が目的の登山客なども珍しくないので、大きなリュックを持って周辺をうろついたとしても旅行者と判断してもらえるでしょう。
でもそうではない土地、観光地とはけして言えない何もない場所においてはどうしてもその存在は際立ち、住民にとって警戒の対象になってしまうと思います。
人気の少ない寂しい街はそれほど逃亡者向けとは言えないかもしれません。
都会の方がやっぱり紛れやすく、異物として扱われにくいのではないでしょうか。 周辺を散策したり飲み物を飲んだり、ベンチでそんなことを考えたりしているといつの間にか時間が経っていました。
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